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マザー・テレサの日本人への言葉



マザー・テレサが、来日された時の日本人への言葉



「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
という発言は、日本企業がマザー・テレサに寄付しようしたことに対するものです。

日本に貧しい人がいないわけないのだから、インドではなく日本で使いなさいということです。



マザー・テレサは、オスマン人です。



マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、オスマン帝国領のユスキュプ(現代のスコピエ)に生まれた。

つまり、マザー・テレサは、オスマン人です。

母のドラナはアルバニア人で、父のニコルは少数民族の(ルーマニア人と同系の)アルーマニア人です。



マザー・テレサが生まれた所、スコピエは…

1世紀直前、ローマ人によって押さえられ軍の野営地となった。

ローマ帝国が395年に東西に分かれるとスクウピはコンスタンティノープルのビザンティンの支配下に入った。中世初期の多くの期間ビザンティンと第一次ブルガリア帝国の間でその覇権が争われ、972年から992年にかけてスコピエには第一次ブルガリア帝国の首都が置かれた。1282年からは町はセルビアの支配下に入り、1346年にセルビア帝国の首都が置かれている。1392年、スコピエの町はオスマン帝国に征服されオスマンの人々は町をユスキュプと呼んでいた。以来、約500年以上にわたりオスマンの支配下にありユスキュプ・パシャサンジャクの首都で後にコソボ州の首都であった。この期間に現在でも市内に残る著名なオリエンタル様式の建築物の多くが造られている。

1912年に町はバルカン戦争の期間セルビア王国によって征服され、第一次世界大戦後、新たに形成された後のユーゴスラビア王国となるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の一部となる。第二次世界大戦時には町は枢軸国の一部であったブルガリア王国の軍によって占領された。1944年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国であるマケドニア社会主義共和国の首都となる。スコピエは第二次世界大戦後に急速に開発されるが、1963年に発生した1963年スコピエ地震によりその発展が一時滞る。1991年にはユーゴスラビアから独立しマケドニア共和国の首都となっている。

スコピエはヴァルダル川の上流部にあり、ベオグラードとアテネのバルカン半島の南北を結ぶ回廊に位置しほぼ中間にあたる。



マザー・テレサが生まれて2年後に故郷がセルビア王国に征服され、その後も次々と他国に蹂躙されつづけました。

マザー・テレサには、祖国がなかったも同然です。

ですから、マザー・テレサの目には、大和心(大和魂)が羨ましく映ったかも知れません。

「祖国がある日本人が、なぜ、同胞(日本人)を助けずに、私(マザー・テレサ)に寄付するのか?」と不思議だったと思います。



日本人は、マザー・テレサの言葉を噛みしめる必要があります。

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