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杜に想ふ 神道教化



 関西の、とある神社の社頭に置かれた参拝者向けのメッセージが話題になってゐると聞いた。「小さなお子様をお連れの親御様へ」と題したA4サイズの用紙には、次の内容が記されてゐるといふ。
――ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。テーマパークでもファミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。「お客様は神様」の自論は通用しません。本当の神様は目の前においでです。当然、不敬な行動は叱ります。親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで、周りの人に叱っていただいたなら、逆切れではなく、「ありがとうございます」です。自分本位な考えの大人になられないように、正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう――
 これを読みながら、子供の頃を思ひ出した。テレビゲームなど存在しなかった時代、家での一人遊びは到底考へられもしなかった。毎日仲間と連れ立って、野原や河原で「やれ探検だ、やれ祕密基地だ」と遊び呆けたものである。小腹が空いて庭梅の実に手を伸ばし、近所の小母さんにこっぴどく叱られたこともあった。
 遊び疲れて帰る頃には、その日の一部始終がなぜか親の耳にも届いてゐて、さらなる鉄槌が下されることもしばしばだった。だが、将軍様をいただく某国の相互監視社会とは別物の、地域で子供を教育するといふ相互扶助社会の温もりが子供心にも感じられたものだった。
 そんな思ひ出のほかにもう一つ、頭に浮かんできたのが「神道教化」といふ言葉である。神社神道の教化活動とは神道的理念の具体的滲透を目的とする一切の対社会活動であって、その成果は社頭の正しい繁栄となってあらはれる――さう教はった当時は、あまりに抽象的な話でさっぱり理解できなかった。しかし、そこそこ年を重ねてきたせゐか、最近になってその意味するところが解りかけてきたやうな気がしてゐる。
 神社は千差万別、それぞれの立地環境や経済状況が反映されるから、教化の手法にも自づと違ひが生じてくる。そして私は勝手にかう結論付けてみたのである。その独自性たるや、テレビゲームなんぞなかったあの子供時代に、「さて、今日は何をして遊ばうか」と精いっぱい働かせた発想力に通じるものがありはしないか、と……。
 そもそも神社の教化活動は、テーマパークやファミリーレストランがおこなふ集客・販促を目的としたイヴェントとは本質的に異なる。仮にそれが同種のものと誤解を受けるやうなものであったなら、却って件のメッセージが諭すところの不敬行為を増大させるだけだらう。
 現代社会と神道教化について考へる機会を与へてくれたニュースでもあった。
(大学講師)



以上、
『神社新報』
杜に想ふ 神道教化 坂上也寸志
http://www.jinja.co.jp/news/news_008502.html
より転載しました。

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