日本を取り戻す

日本を取り戻しましょう。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

◆ 田中元人の前嫁ブログ ◆

スポンサーサイト

PageTop

首切り事件より恐ろしい「711事件」 覚え書き

平成3年(1991)7月11日、筑波大学の助教授、五十嵐一氏が刺殺された事件。

事件の三日後、イランのバグダッドに本拠地を置いていたイランの反政府組織が、ある通信社に、事件は、暗殺団による犯行だとする声明を送ってきた。その声明によれば、数人からなる幾つかの暗殺団が組織され、「悪魔の詩」の著者、翻訳者を処刑するためイギリス、日本、イタリア、スイス、フランスなど多数の国へ派遣されたという。



● 厳重な箝口令

「悪魔の詩」殺人に関しては、犯行翌日の12日に出国した一人の男を、犯人の可能性が高いと見ていた。男の出身国は、イスラム文化圏の国。
(【※】 週刊文春によると、筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生)

しかし、この事実は、茨城県警特別捜査のごく僅かな幹部だけに伝えられ、厳重な箝口令が敷かれた。
しかも、警察庁は、各国に情報収集を求める「ブルーノティス(青色手配)」を国際刑事警察機構へ依頼する事さえしなかった。また男の逃げた先や根拠地の国の照会もしなかった。警察庁がなぜこの情報を封殺したのか?

当時、警察庁の内部において、大激論が起きていたという。
我が国始まって以来の、明らかなテロ攻撃であり、国家捜査の場に事件を持ち出すべきだという積極派。
もう一方は、公表することで、イスラム文化全体を敵に回しかねず、それによる影響は計り知れないとする隠匿派だった。

結論としては、隠匿派の意見が通ったという事なのだろう。
やがて、15年の月日が経ち、2006年の7月11日午前零時に事件は時効を迎えてしまう。

● CIAの元職員ケネス・ポラックは、イラン軍部『イスラム革命防衛隊』による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行のためと判断した。



◆ 概要
1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。現場からO型の血痕(被害者の血液型ではないため、犯人の血液型とされた)や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。

五十嵐助教授は1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳している。1989年2月にイランの最高指導者のルーホッラー・ホメイニーは反イスラーム的を理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告を行っていたため、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。

15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し未解決事件となった。外国人犯人説が存在するこの事件では、実行犯が国外に居続けたと仮定した場合は公訴時効は成立していない事になるが、警察は証拠品として保管していた被害者の遺品を遺族に返還している。


◆ 事件発生の当日の日本の政治状況

自民党の金丸信、竹下登、小沢一郎らの金権政治家が、政界を牛耳っていた。
当時の内閣総理大臣、海部俊樹は、お飾りに過ぎなかった。



※ 参照資料

悪魔の詩訳者殺人事件(ウィキ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A9%A9%E8%A8%B3%E8%80%85%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-2


犯人は特定できていた!
http://blog.livedoor.jp/sames/archives/51695726.html


小沢一郎(ウィキ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。